愛知県厚生連加茂病院は、昭和22年、挙母町(現豊田市)の町営病院開設を願う地元住民の強い熱意により、その意を受けた当時の愛知県農業会が開設しました。翌23年に愛知県厚生連に移管し、昨年60周年を迎えました。豊田市元城町(移転直前地)に移転してからでも45年が経過し、施設の老朽化、狭隘化、駐車場の不足など、施設整備の必要性が高まり、10年前から移転新築を目指し準備を進めてまいりました。構想初期のころは、土地の選定で大変苦労し、豊田市との慎重な協議のうえ、豊田市浄水町の土地区画整理組合地内に決定しました。おかげで、11万5000平方メートルという広大な敷地に建設することが可能となりました。
その後は、設計を進め、平成18年1月より建築JV・電気JV・設備JVなどとともに建設を進めてまいりました。20か月という短い工期の中で、病院企画室を中心として移転実行委員会、移転調整委員会メンバーとともに今までの加茂病院にはないゆったりとした病院環境を作り、屋上庭園などの緑を多く取り入れ落ち着いた療養環境を目指してきました。また、地元の街づくり協議会の要望も入れ、病院周囲に遊歩道を設け、さらに、豊田市の構想で名鉄浄水駅と病院入り口を結ぶ地下道を市が設置することを受け入れてきました。
職員の働きやすい環境整備として休憩室をできるだけ多く設置し、職員食堂も安くて美味しくゆっくりと食べられるよう整備したつもりです。職員専用通路をできるだけ整備し、職員と患者の動線ができるだけ交錯しないようにも心がけて建設しました。看護師不足などへの対応も含めて、加茂看護専門学校の同時移転、24時間体制の保育所を敷地内に併設しました。看護師住宅は100室、医師住宅は45室整備しました。
また、移転を機に名称を「豊田厚生病院」と改め、平成20年1月1日に開院することとなりました。同時に、救命救急センターの指定を受け、地域中核災害医療センターとしても役割を担うこととなり、地域がん診療連携拠点病院としての更なる整備、緩和ケア病棟の開設、電子カルテの導入、PET-CTやラジオサージャリーの導入など、盛りだくさんの機能整備をすることになりました。
このようにいろいろな条件を盛り込んで建設を進めてきましたが、特にこの2年間は現場の職員とのヒアリングを何度も重ね、できるだけ要望に沿うよう努力をしました。だが、出来上がるころに「こんな予定ではなかった」など、数々の行き違いが表面化し、その調整に難渋しました。それは購入機器でも同様で、「なぜこの機器が入っていないのか」などと注文が多く、困惑しました。院長としては限られた予算の中であらゆる分野にできるだけ均等に配分してきたつもりでしたが、なかなかお互いの思い通りにはならないことも多くありました。
そうこうしているうちに平成19年8月末には工事が完工し、引き渡しを受けました。その時期からは、電子カルテの本格的な訓練が始まり、医師と看護師をはじめ多くの職員がその対応に追われ、毎日遅くまで頑張ってくれました。電子カルテ担当の医療情報室は夜も寝られない状況が続きました。11月からは、患者搬送部会のリハーサルがはじまり、1回目のリハーサルは不安が一挙に噴き出しましたが、職員の努力で2回目にはかなり改善されました。12月31日の患者搬送に向けて12月15日ころからは入院制限を行い、入院患者数の抑制に努めました。この頃は周辺の診療所や病院を含む医療機関、特別養護老人ホームや老人保健施設などの介護施設には大変ご迷惑をおかけしましたが、多大なご協力をいただきました。
年末が近づくにつれ、天気予報は大寒波がきて大晦日は雪になるであろうと報じており心配がつのりました。12月31日患者搬送当日は、私も含めて職員みんなが前の夜から空を眺め、中にはほとんど寝ないで出勤した人もありました。皆の願いが伝わったのか、寒くはありましたが空は晴れ、陽差しもあるなかでの患者移送となりました。旧病院の病棟看護師は朝6時出勤、患者の食事は6時開始、そのほかは7時出勤で職員が集まってくれました。7時半から患者搬送を開始し、予定通り12時半に無事終了、127名の患者は移送中一人のトラブルもなく無事新病院に移りました。院長としてようやくほっとすることができ、職員の皆さんには心から感謝の念でいっぱいです。
新病院は平成20年1月1日に予定通り開院、ここからは電子カルテとの戦いが始まり、職員はまたまた疲れ、特に担当者はほとんど寝る暇がない状態が続いています。
移転に際しては、豊田市の行政、市議会、豊田市消防本部、尾三消防本部、豊田警察署などに多大なご支援ご協力をいただきました。また、豊田加茂医師会、トヨタ記念病院、豊田地域医療センター、三好町民病院、足助病院は移送前後にたいへん好意的に協力していただき、特に、トヨタ記念病院は12月30日20時から1月1日の12時まで40時間にわたって救急車を全面受け入れしていただいたお陰で患者移送がたいへんスムーズに行えたと思っています。他の医療圏では見られないような、たいへん嬉しい協力体制を得ることができました。
この大事業を支えてくれたのは、病院の職員皆のほんとに大きな力だと考えています。移転にかける思い、夢を叶えるために大きな努力をしてくれました。職員のその心意気には頭が下がります。いくら感謝してもしきれないものです。
豊田厚生病院は、今までの加茂病院と同様、地域の皆様の期待にこたえられるよう医療の質の向上とともに優しさと温かさをもった病院づくりを心がけ、地域住民が安心して暮らせるようこれからも職員とともに邁進するつもりです。
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